【0を1にしてくれた人】新藤晴一 ギタリスト

音楽の話
スポンサーリンク

どーもヨーラです。

ギター弾く人なら誰もが一度は読んだことがある雑誌、「ギターマガジン」の別冊シリーズ「SPECIAL ARTIST SERIES」に、ポルノグラフィティの新藤晴一さんが特集されていたので購入してみました。

 

新藤晴一 Guitar magazine SPECIAL ARTIST SERIES

 

ギタリストとしてすごく謙虚

最初は因島時代から現在にかけてのインタビューから始まるのですが、とにかく謙虚さが伝わってきます。たぶんギターヒーローという存在に対しての憧れがずっと残り続けているんじゃないかなと。並べて語るのがおこがましいですが、僕も田舎育ちなのですごくわかります。

あと大阪である程度の結果を残して、上京してからデビューまでの2年間がけっこう辛かったみたいで、ここまであからさまに語っているのは、少なくとも僕は初めて見ました。Tamaさんの話もちょくちょく出てきます。

 

ギタリストというよりは、バンドマン

もし歌詞を書かない人だったらもっと立ち位置が違っていたんじゃないかなと。もっとギタリストとして「俺俺!」っていうのを出してたんじゃないかなと思うんですが、あれだけ素晴らしい歌詞を書いて、高い評価を受けてたぶん、フラットにギターを弾けてたんじゃないかなと勝手に予想してみたり。

 

ギターめっちゃ持ってる

所有しているギターの写真や説明も展開されています。晴一さんはライブでもいろんなギターをどんどん使っていくスタイルですが、メインとしてはやはりレス・ポール、途中からテレキャスターが多くなってきてます。

 

おわりに

新藤晴一さんにとってのバービーボーイズが、僕にとってはポルノグラフィティみたいな、それくらいの存在です。ファンの方にはこれでどれだけ好きなのか伝わると思います。

2000年に「サウダージ」がリリースされて「ポルノグラフィティ」というバンドを当時知ったのですが、メロディとかボーカルがはっきり歌詞を発音して歌う感じがすごく好きで、初めてファンと言えるほどハマったバンドでした。アルバムCDというものも初めて買ったし(2ndの「foo?」でした)、それこそ歌詞カードが手汗で汚れるくらい何度も聴いて、「ギターっていう楽器があるんだな、弾いてみたいな」と思わせてくれたバンドでした。

本当に多大な影響を受けていて、ギターと言えばやっぱりレス・ポールが好きだし、歌詞の意味を探り始めたのも、歌詞を書き始めたのもこの頃、なんならカープを応援し始めたのもこの頃でした。

CDはリリース日に買って(旭川のサティ内に確かあった、途中からイオン内のタワレコで買った)、音楽雑誌のインタビューとかでメンバーのコメントや曲に対する想いとか制作の話とかを読むのが本当に楽しかった。

 

created by Rinker
シンコーミュージック・エンタテイメント

 

ベースのTamaさんが脱退するのを知ったときは本当に悲しかった。これからどうなっちゃうんだろうと思ったけど、解散しないでいてくれたので、今思うとそれが本当によかったなと、思います。

上記の「ワイラノクロニクル」を読んでる中で音楽専門学校というものがあることを知って、いろいろ比較して考えた中でTamaさんが通っていたアン・ミュージックスクールに入学しました。結局いろいろあって僕が実際に通ったのは東京校でしたが。そのときが2007年だったんですけど、そこから一気に自分の音楽活動にのめり込み、聴くべき音楽の幅も広がり、あまり聴かなくなってしまいました。アルバムでいうと「m-CABI」くらいの頃までですかね。

それから時は流れ、最近ポルノグラフィティがサブスクリプションを始めたのをきっかけに久々に聴いてみたりしたら、もうめちゃくちゃ懐かしくて、一瞬であの頃に戻れるんですけど、やっぱり未だに好きになれるし、音楽を始めたきっかけはここなんだなって胸を張って思えるんですよね。

好きになった当時はまだデビュー2年とかだったのがいつのまにかデビュー20年とかになってて、音楽の聴き方も時代もすごく変わって来てると思うんですが、自分にとっての最初の部分というか、青臭いところ、そこは変わらないので、なにか自分のなかで確認できたような気がしたので、今回購入してよかったなと思います。

 

楽器を持っていなかった僕に、楽器を持ちたい、演奏したいと思わせてくれたこと、僕の「0」を「1」にしてくれたこと、本当に感謝しています。

ではまた。

 

 

このブログを書いている人

ヨーラ
ヨーラ
ヨーラです。音楽やってますがラーメンと野球が好きです。 ツイッターフォローしてね。
x.com

コメント

タイトルとURLをコピーしました