他人に期待する人は生きるのが辛い理由3つ

雑談
スポンサーリンク

 

 

 

 

 

 

 

 

先日こんなツイートをシェアしました。

「すこし冷たい人」という定義が曖昧なのでそのあたりでリプが飛び交ったりしてましたが、僕はこの感じ、すごく共感しました。

 

 

他人に期待する人は生きるのが辛い

 

他人の生活を背負いこむ美学

 

「わたし、それやっとくからいいよ!」的な言葉。仕事が早くて世話を焼くのが好きなタイプの人に多いです。本人は良かれと思って、そして好きでやっているように見えたりしますが、その世話を焼いていた相手にちょっと裏切られたりすると、わりとすぐに落ちます。

世話好きを否定はしませんが、ある日自分に何も残ってないことに気づくと悲しい気持ちになります。

 

犠牲になってるような美学

 

「自分が苦労してうまく行くなら、仕方ないから苦労しよう」的な考え方です。とても良い人に思えますが、自分の時間を自分のために使うことができないタイプです。そして残念ながらこういうタイプは代えが効いてしまいます。

 

やりたいことを抑え込む美学

やりたいことはあるのだけれど、まず出来ない理由を1つずつ見つけて並べて結局何もやらないタイプです。そしてそのうちやりたいことすら思いつかなくなってしまいます。というかこれ美学でも何でもないですねすみません。

 

おわりに

 

この3タイプの人の悪口を言いたいわけでは全くなくて、もっと自分のために生きればいいのになぁと、客観的に見てて思います。どれも良い人なのでなおさら。

で、これらに共通している考え方があって、それがタイトルにもなってるのですけど、「他人に期待している」ということです。世話を焼く行為も他人がいないと成立しないし、他人があるから初めて自分が犠牲になれるし、出来ない理由もすべて他人の目を気にしていることが原因だったりします。

ということはやはり、生きる理由とかやりたい理由というものは自分に求めるべきなんじゃないかと僕は考えています。自分が生きる理由を他人に委ねるといろいろ辛いです。現実は純愛ドラマではありませんし。

誤解を招くかもしれないので何度も書きますが、奉仕の心はとても大事だと思います。ただそれを拗らせてひっくり返ってる現象が多々あるような気がするのです。他人の人生を背負いこむことはできないし、犠牲になる必要もない。なのでそれらから一旦離れて、理由を自分に求めて生きて行くと、それをこの昨今では「すこし冷たい人」と言われるのではないでしょうか。でもそれは、「すこし冷たくて自分らしく生きてる人」とも言えると思います。

そして僕はそういう人の方が、魅力的に思えます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました