【ほどほどに】ひろゆきさんの「論破力」を読みました

読んだ本
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どーもヨーラです。

ネットのコメントとかを見ていると、「はい論破」とかを見たりしますね。僕は正直論破ってのがあんまり見てて気持ちよくないのですが。「はい清楚」のほうがよっぽど良いですね。

そんななかで論破してるイメージが強いゆえにひろゆきさんが出した本「論破力」を読みました。

 

論破力

うわぁ元も子もないこと言ってるなー、ひろゆきさんっぽいなぁーって部分が多々あって、前半は特にそんな感じなのですが、後半は自分が思ってることと同じこと書いてあったりして、割と有効な考え方なんだな、と思ったり。

 

圧倒的に論破して気持ちいいのは自分だけ

僕が論破してる光景があんまり好きじゃないのはここなんですよね。論破したあとに空気が良くなるか、といったらそんなことはほとんどなくて、論破されてしまった側はもやもやしてるし、まわりもなんだかもやもやするし、優越感に浸って気持ちいいのは自分だけであることがほとんど。

なんでかなーって考えると、ひとりの意見を無理やり他人に押し込めているから、というのがひとつあるかもしれないです。立場とか声の大きさで言いくるめるのは見ててあんまり気持ちいいものではないです。

 

ひろゆきさんは考えを押し付けているわけではない

本のなかで何度も言われていたのは、「感情や気持ちなどの意見で攻めるのではなく、事実ベースで言う」とのことでした。人の感情ってのはとにかくややこしくていい加減なので、ひたすら事実を並べていくと。

そしてひろゆきさんの場合は押し付けるのではなく、ゲーム感覚で事実を相手にぶつけてみて反応を見て面白がる、という人らしいので性格がとっても悪いですね。 自分でも言ってました。

 

準備しすぎない

人によるし場面によるのですが、ガチガチに準備すると全部使いたくなっちゃうんですよね。例えば会議でこれを議論しますよ、それに向けて資料を集めました、これとこれとこれを言いたい、って決めたら全部言いたくなっちゃう。議論は相手がいて初めて成立するから、流れが大事です。なので必要最低限の準備だけして、あとはアドリブで、遊びを持たせるほうが柔軟に対応できる。

これ演奏でも一緒ですね。ライブで演奏する曲の仕込みも、進行と決めのフレーズだけしっかりさらってあとは遊びを持たせておくと何かあっても対応しやすい。準備しすぎるとそれに縛られるんですよね。もちろんタイプによります。かっちり準備して本番も毎回かっちりやる人は、それもまたすごいと思います。

 

言葉として謝る

おいら謝ることがまったく「苦」にならないのですよ。じつは、どこの誰に「土下座しろ」と言われても、けっこういつでもできる派です。それはどうしてかと言うと、謝ることになんの重きもおいていないからで。謝ることはおいらにとって、単に「ごめんなさい、ごめんなさい」と声に出すことでしかなくて、要はどうでもいいことなのです。

 

これ結構重要だと思っていて、それで済むなら言っとけばいいんですよね。言葉の可能性は僕も信じていますが、一歩引けばそれはただ文字の羅列でしかないとも言えるので。「すごいですね、さすがですね」って言っとけばいい。もちろん本当に申し訳ないと思ったら心から「すみません」って言うし、ほんとにすごいと思ったら「すごい」って言うんですが。信じてください。

プライドが邪魔をするのか絶対に引かずに謝らない人っているし、下に見られたくないのか媚を売るのが嫌って人もいますが、それって裏を返すと「ちょっと謝罪するだけでプライドが崩れる」「媚を売る程度で下に見られる」とも言えますからね。もちろんやりすぎると安くなっちゃいますけど。

 

おわりに

はじめに戻りますが「ほどほどに」ですね。あんまりやりすぎると嫌われます。ひろゆきさんは嫌われてもなんとも思わないと言いますが笑

全員に好かれようとはさすがに思ってないですが、ちょっと自分のやりやすい方向に誘導したりとか、軌道修正をする程度にうまく使えたら良いんではないかなと。僕話すのあんまりうまくないしどもるんで、なかなかね。ではまた。

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ヨーラです。音楽やってますがラーメンと野球が好きです。

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